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Lourdes(ルルド)の城塞 

Lourdes(ルルド)へ、フランス「ぶらりローカル線の旅」その3
Lourdes(ルルド)の聖地

に引き続き、今回はルルドの城塞をレポートします。

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これはSNCFの駅のあたりからの眺めです。
町の一番高い岩山の上に作られているので、位置はすぐにわかります。

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問題は入り口がどこかということなのですが、ルルドの中心街にあるOffice de Tourisme(オフィス・ド・ツーリズム、観光案内所)から城塞のほうに歩くと、ちょうど入り口の付近でした。

受付で、たしか5~6ユーロぐらい払うと、中に入ることができます。上までいくエレベーターがありますが、好みによって歩いて上がることもできるようです。いずれにせよ、城塞の上で切符切りのおじさんがいますので、値段は一緒です。ここでも昼休みは12~14時だったと思います。


Chateau Fort de Lourdes in Wikipedia fr.

ルルドには次のような伝説があります。古代、Miratと呼ばれるサラセン人が支配していた町は、778年シャルルマーニュによって包囲されました。このときたまたま一羽の鷲がマス(trout)をサラセン人に持って行ったのを見たシャルルマーニュは彼らが十分な食料を持っていると信じ、Miratに町を維持することを許すかわりにイスラム教からカソリックに改宗するという契約を持ちかけ、Miratはこれを受け入れました。この伝説によって、現在のルルドの紋章には鷲がマスを加えている絵が描かれています。またこのときのMiratの洗礼名がLorusで、これがその後Lourdesという町の名前になったそうです。

from Wikipedia

11~12世紀には、城塞はBigorreの伯爵の住居になりました。13世紀、城はシャンパーニュの伯爵(同時にNavarreの王)の手に渡り、その後、フランス王Philippe le Belの支配下に入りました。1360年にはBretignyの協約によって、イングランドの手に渡り、2回にわたる包囲の末、15世紀のはじめにフランスに戻りました。フランス革命ののち城は牢獄になり、それは1921年にピレネー博物館の本部となるまで続きました。


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城の側面はこんなふうになっていて複雑な形です。


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城は岩山と一体になっているように見えます。


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見渡せばピレネーの山々には霧がかかっていて、雲の中にあるように見えます。
いや、これは実際に雲の中なのかもしれません。
というのも、上空の雲と山の上の霧の境がはっきりわからないからです。


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順路に沿って進むと、屋上に出ます。


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これは屋上から眺めたピレネーの山々。


下を見下ろすと…

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ポー川(Gave de Pau)と、ルルドの町並みが見えます。

三つのうち最初の写真の右上にはサンクチュアリ(聖域)にある教会があります。



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これは屋上にあった大砲。

1786の彫り込みがありましたが…。


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この塔の内部では牢獄の跡を見学することができます。


城塞の内部はピレネー博物館になっていて、古い調度品や民族衣装、その他いろいろなものが展示されています。

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こんなふうな鳥の絵が多く、印象的です。

昔のたぶんNHKの朝の放送開始のときの画面(アニメ?)を思い出しました。
印象では似ていたと思う。

葉っぱをくわえた鳥と、その翼が単純な図形からなっていて、この皿が作られた年代よりもはるかに後のキュービズムを連想させます。もしかしたら、キュービズムの創始者たちはこういう民族工芸から学んだ部分もあるのかもしれません。


色は元々はどんな色だったのかはわかりませんが、古びたこの色もいい感じです。


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1775年のようです。


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これは1786~1838年とのこと。


城の外側を回って降りました。

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次回へつづく…




コメント

シカゴも昨日雪混じりの雨が降りましたが、ルルドはもっと寒そうですね。

やっぱりフランスに住むと歴史に詳しい方が楽しいですよね。
私はいまいちですが・・・。

シャルルマーニュは、キリスト教を認可することで自分の地位を確保していったのでしたっけ???アレレ。

城塞を沢山構えてる皇帝は、城塞を造る労働力が必要だったことを考えると、皇帝の勢力がいかに偉大だったかを示しているんだなという気がします。

BluBlueberryさん

シカゴでは4月なのに雪なんですね~。

歴史はそうですね。。ある程度は知ってたほうが楽しいと思うので、勉強したりするわけですが、私もそんなに詳しいわけでもないです。

シャルルマーニュはゲルマン民族のフランク王国の国王としてキリスト教を積極的に取り入れ、ゲルマン民族をキリスト教化していったというかんじでしょうか。。

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