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「改良湯」のなぞがとけた! 

びっくりしたなーもう。


東京渋谷に、「改良湯」という銭湯が昔からあり、『かわった名前だなー』とずっと思っていたのだけど(子供のころから)。。。

そのなぞが何十年かの時を経て、今解けました!

テレビを見ていたら、江戸時代までは日本では混浴で、ペリーの来航が機会で男女別浴になったという話をしていました。これは有名な話なので、あまりサプライズはないのだけど・・・。

そのときに、新しくできた「改良型」の銭湯が、「改良風呂」と呼ばれたとのこと。。

そうだったのかー!

たぶん、その名残で残っている名前ではないのかなー?


改良湯(渋谷)
改良湯



改良風呂:

水の文化センター
 近代になると、先ほど申し上げたように、改良風呂が出てきます。改良風呂というのは、今の銭湯と同じで、浴槽を床に沈めて首まで浸かれるようにした。それまでは、柘榴風呂ですから、蒸し風呂の蒸気を外に逃がさないように、閉鎖的に造らなくてはならない必要から、中は真っ暗です。不衛生だし、風紀的にも問題があって、明治中頃には廃止されました。しかし、地方では相当後まで残ります。明治40年ころまでは残っていたようですね。とにかく不衛生ということで、取り締まりの対象となりました。

浴槽を床に沈めて首まで浸かれるようにしたのが、「改良風呂」なのか。
でもこれは、次のサイトの記述とは微妙に違うようです。


銭湯レポート(千葉弘幸氏)
 さらに時代はすすみ、明治維新を経た明治10年頃、神田の連雀町に「改良風呂」が登場して、銭湯の構造に革命的変化が訪れます。湯船には湯を満たし、ざくろ口はとりやめて、天井を高くして湯気抜きの窓を設けた改良風呂は、それまでの銭湯と遠い、明るくて開放的。以降はこのスタイルが銭湯の主流となり、現在に至ります。
 大きな浴槽に満々と熱い湯をたたえ、肩までどっぷりとつかる。温泉まで出かけないと味わえなかった極楽気分を、誰もが楽しめるようになったのです。


ふむふむ、湯船に湯を満たし、ざくろ口はとりやめて、天井を高くし、湯気抜きの窓を設けたものを、「改良風呂」と呼ぶのか。。。

「ざくろ口」とは、高さの低い、かがんで入る入り口のことです。

 入り口はざくろ口(なぜざくろ口と呼ぶようになったのか?実は江戸時代特有の言葉遊びからなのです。当時は鏡を磨くのにざくろの実を使ったので“かがんで風呂に入る(屈(かが)み入る)”を、“鏡鋳(かがみい)る”としゃれ、「ざくろロ」となったとか・・・)といって高さわずか90cm、昼までも薄暗い中にもうもうと湯気がたちもめて、ほとんど手探り。咳払いなどして「ここにいるぞ」と存在を主張しなければならない有様だったと伝えられています。

だそうです。。。


東京都浴場組合

 明治時代になって、銭湯の様式は一変しました。ざくろ口は取り払われ、屋根に湯気抜きが作られたり、浴槽と板流しを平面にしたり、洗い場もずっと広くなりました。これは「改良風呂」と呼ばれ、評判になります。後には、湯船の縁を少し高くして、汚れが入らない王夫もされます。

つまり明治時代に入ってできた、新しいタイプの開放的近代的なつくりの銭湯のことを「改良風呂」と呼んだのですね。。



ちなみに、銭湯で湯船に入る前には、十分によく身体を洗ってから入るべし。

それが正しいマナー。

ちょちょっと申し訳程度に水をかけて入る人がいるけど、不衛生この上ない。

家庭の風呂と、銭湯の風呂はちがうんだ!

プールの場合は、水着を着ているし、目が痛くなるほど塩素を沢山入れて消毒しているから、銭湯とは異なる。


コメント

へぇ~

ペリー来航ってそんな頃に男女別になったんですね。なんだかすごい歴史。
そりゃ確かに変な名前だと思いますよね。じゃその前はずっと混浴??

rokogirlさん

そうなんですよー。
江戸時代までは混浴で、カップルが仲良く風呂につかって、周りに関係ない人たちもつかってるという絵が残されているみたいです。

銭湯必要ですね

昔からの木造の銭湯を見かけなくなっちゃいましたけど

やっぱ壁絵は富士ですよね

混浴だったら・・薄暗くて
よく見えなくて
よかったですね

桜さん

そうですね。。
薄暗かったのも混浴でよかった理由の一つかもですね。。

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